『天皇の料理番』最終回視聴率は?秋山篤蔵とはどんな人物? [ドラマ]
佐藤健さん主演のTBSドラマ『天皇の料理番』が
高視聴率をマークしています。
木村拓哉さん主演のアイムホームが
平均視聴率14.8%を上げ、
今のところ春スタートのドラマではトップでしたが
6月21日に放送された第9話が16.7%、
27日の第10話が16.1%のと2週連続で
16%を超えの視聴率で平均14.3%になりました。
この調子で最終回まで行けばアイホームを抜いて
『天皇の料理番』がトップに
なるのではのではないでしょうか?
※http://matome.naver.jp/odai/2143003174461310301写真引用
視聴率の推移は
第1話 15.1% 第2話 11.4%
第3話 12.0% 第4話 12.7%
第5話 14.5% 第6話 14.1%
第7話 14.9% 第8話 15.3%
第9話 16.7% 第10話 16.1%
第1話は15.1%と好スタートしましたが
第2~4話までは13%を切っていたものの
第5話からは14%超えの視聴率を
たたき出しています。
そんな人気の『天皇の料理番』ですが
主人公の秋山篤蔵とはどのような人物なのか
調べてみました。
ドラマでは『篤蔵』となっていますが
実際の人物は『徳蔵』です。
生年月日 1888年8月30日
出身 福井県越前市
越前市の裕福な料理屋の次男として生まれました。
徳蔵は後に、秋山俊子と養子として結婚したため
秋山姓となるが旧姓は高森徳蔵でした。
幼少期から素行が悪く、禅寺に修行に行くも
悪さばかりするため、1年で破門となったそうです。
ドラマの第1話はそこからスタートしましたよね。
徳蔵は鯖江市の陸軍連隊を訪ねた時にそこの
食堂で香ばしい匂いを嗅いだことが
西洋料理に興味を持つきっかけになったみたいです。
その後、将校集会所で初めて口にしたカツレツに
感動してコックになることを決意しました。
※http://mikenekotiger.com/tennnounoryouribann-akiya...写真引用
高等小学校を卒業し、1904年から東京の『華族会館』で
3年間見習いコックとして修行。
駐日ブラジル公使館『築地精養軒』で料理長の西尾益吉から
フランス料理を学んだことでフランスで修行することを決意しました。
1907年『東洋軒』三田本店の3代目料理長になる。
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1909年フランスに渡航、
ペルリンの『ホテルアドロン』にて修行。
その後、
1910年 日本大使館の紹介でオテル・マジェスティック2年間、
1912年 キャフェ・ド・パリに半年、
オテル・リッツ・パリにて
オーギュスト・エスコフィエの下で半年働いていた。
1913年 パリの日本大使館の推薦で宮内省に招かれ帰国、
東京倶楽部料理部長として就任。
7月には徳蔵が下宿していた秋山家の一人娘・秋山俊子と結婚、
養子となり、秋山徳蔵になる。
※http://www.tritontv.com/4%E6%9C%8826%E6%97%A5%E9%9... 写真引用
1914年、新設された宮内省大膳寮の初代司厨長に任じられた。
長男、匡誕生。
1915年、大正天皇の御大典で賓客を支笏湖産のニホンザリガニを
使った本格的なフランス料理でもてなす。
ザリガニは4000匹用意、3000匹を料理に使い残りの1000匹は
日光の御用邸に放流したそうです。
※http://blogs.yahoo.co.jp/mache_barubara_yoko/13399...写真引用
1916年 長女栄子誕生。
1919年 次男鉄蔵誕生。
1920年 宮内省の指示で渡仏。
1921年 皇太子裕仁親王の欧州訪問の際には随行して各国主催の晩餐会の
現場見学、その後はニューヨークに渡り有名レストランを視察して
1922年帰国。
1928年1月 妻・俊子が肺結核で他界。
1929年2月 岸本きくと再婚。三男・三郎誕生
1936年 四男・四郎誕生
1972年 宮内省大膳職主厨長引退。
1973年 勲三等瑞宝章を受章。
1974年7月14日 85歳で死去。
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高視聴率をマークしています。
木村拓哉さん主演のアイムホームが
平均視聴率14.8%を上げ、
今のところ春スタートのドラマではトップでしたが
6月21日に放送された第9話が16.7%、
27日の第10話が16.1%のと2週連続で
16%を超えの視聴率で平均14.3%になりました。
この調子で最終回まで行けばアイホームを抜いて
『天皇の料理番』がトップに
なるのではのではないでしょうか?
※http://matome.naver.jp/odai/2143003174461310301写真引用
視聴率の推移は
第1話 15.1% 第2話 11.4%
第3話 12.0% 第4話 12.7%
第5話 14.5% 第6話 14.1%
第7話 14.9% 第8話 15.3%
第9話 16.7% 第10話 16.1%
第1話は15.1%と好スタートしましたが
第2~4話までは13%を切っていたものの
第5話からは14%超えの視聴率を
たたき出しています。
そんな人気の『天皇の料理番』ですが
主人公の秋山篤蔵とはどのような人物なのか
調べてみました。
ドラマでは『篤蔵』となっていますが
実際の人物は『徳蔵』です。
生年月日 1888年8月30日
出身 福井県越前市
越前市の裕福な料理屋の次男として生まれました。
徳蔵は後に、秋山俊子と養子として結婚したため
秋山姓となるが旧姓は高森徳蔵でした。
幼少期から素行が悪く、禅寺に修行に行くも
悪さばかりするため、1年で破門となったそうです。
ドラマの第1話はそこからスタートしましたよね。
徳蔵は鯖江市の陸軍連隊を訪ねた時にそこの
食堂で香ばしい匂いを嗅いだことが
西洋料理に興味を持つきっかけになったみたいです。
その後、将校集会所で初めて口にしたカツレツに
感動してコックになることを決意しました。
※http://mikenekotiger.com/tennnounoryouribann-akiya...写真引用
高等小学校を卒業し、1904年から東京の『華族会館』で
3年間見習いコックとして修行。
駐日ブラジル公使館『築地精養軒』で料理長の西尾益吉から
フランス料理を学んだことでフランスで修行することを決意しました。
1907年『東洋軒』三田本店の3代目料理長になる。
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1909年フランスに渡航、
ペルリンの『ホテルアドロン』にて修行。
その後、
1910年 日本大使館の紹介でオテル・マジェスティック2年間、
1912年 キャフェ・ド・パリに半年、
オテル・リッツ・パリにて
オーギュスト・エスコフィエの下で半年働いていた。
1913年 パリの日本大使館の推薦で宮内省に招かれ帰国、
東京倶楽部料理部長として就任。
7月には徳蔵が下宿していた秋山家の一人娘・秋山俊子と結婚、
養子となり、秋山徳蔵になる。
※http://www.tritontv.com/4%E6%9C%8826%E6%97%A5%E9%9... 写真引用
1914年、新設された宮内省大膳寮の初代司厨長に任じられた。
長男、匡誕生。
1915年、大正天皇の御大典で賓客を支笏湖産のニホンザリガニを
使った本格的なフランス料理でもてなす。
ザリガニは4000匹用意、3000匹を料理に使い残りの1000匹は
日光の御用邸に放流したそうです。
※http://blogs.yahoo.co.jp/mache_barubara_yoko/13399...写真引用
1916年 長女栄子誕生。
1919年 次男鉄蔵誕生。
1920年 宮内省の指示で渡仏。
1921年 皇太子裕仁親王の欧州訪問の際には随行して各国主催の晩餐会の
現場見学、その後はニューヨークに渡り有名レストランを視察して
1922年帰国。
1928年1月 妻・俊子が肺結核で他界。
1929年2月 岸本きくと再婚。三男・三郎誕生
1936年 四男・四郎誕生
1972年 宮内省大膳職主厨長引退。
1973年 勲三等瑞宝章を受章。
1974年7月14日 85歳で死去。
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